ここでは四万十川の謎? 四万十川っていったい何なの? 四万十川の不思議。
等々、四万十川について色々解説しようと思います。 渡川(わたりがわ)って知ってる?
四万十川って? 

r e t u r n


四万十川。

四万十川は、流域の地形や河川形状、水量、景観などによって、東津野村の源流から窪川町の佐賀取水堰まで(上流)家地川堰堤ですね。堰堤から西土佐村の弘見川合流点まで(中流)と、弘見川合流点から中村市の河口まで(下流)に大別されます。

上流は比較的直線的な急流、中流は大蛇行と多くの岩場、下流はゆったりとした流れに加え、緩やかな蛇行と白い砂州が調和した風景になります。

日本の多くの河川が直線的な急流であるのに対して、四万十川では上流の一部を除いて、蛇行を繰り返しながら非常にゆったりとした流れが続いていることが特徴です。 下流域では汽水も広大で色んな魚も居ます。河川の中でアオリイカの産卵も見えることがあり、また、【アカメ】と言う日本淡水魚の中では最大になる魚も居ます。(主な生息は汽水〜海水)
スズキなどは江川崎まで登ってきて山スズキと言われたりします。

四万十川の平均河床勾配は0.61%であり、特に、梼原川合流点(標高125m)から河口までの106kmは0.12%と大変小さい値となってこの緩やかな流れが生活排水やにごりなどの汚濁に対して大変弱い体質となっています。


四万十川は、「ダムの無い川」として全国に紹介されたように、ダム(河川法で規定する堰堤高15m以上)はありませんが、源流地点から70km程下流の窪川町家地川地区に、佐賀取水堰(高さ8m)があります。通称家地川堰堤です。 他に檮原川(支流)には立派な津賀ダムがありダムのない川では無いですね。

また、四万十川には大小21もの沈下橋があり生活文化遺産とも言われています。

四万十川流域は日常的に川と深いかかわりを持ち、自然、風土、歴史、文化が融け合った里山の原風景が残っています。また、アユの火振り漁も有名であり暮らしの人々の生活にとけ込んでいます。
火振り漁は釣り人から見れば最悪の漁ですが文化ととけ込んでいるため規制は出来ないですね。(多少規制はあります) もっと最悪の漁は瀬張り漁かな。



四万十川の天然繁殖魚は94種で全国第1位、遡上可能区間の割合は94%(平成元年度)で四国第1位、全国第6位です。藻類収穫量が全国第1位で、アユ漁獲高も河川延長1kmあたりの漁獲量が全国第1位です。天然アユ、ウナギ、エビ、カニなどの味覚に出会え、日本の河川では珍しい専業の川漁師もいます。








四万十川の名前の由来を書いてみましょうか。 四万十川は渡川?
平成六年七月、四万十川は渡川との「一物二名」の混乱を避けて「清流四万十川」一本になったかにみえた。だが、公式では「渡川水系四万十川(渡川)」である。これが四万十川の本名!。本名と言えば、武士の世界では「諱(いみな)」と称して不幸を呼ぶものとしていた。通常は「字(あざな)」を用いた。坂本龍馬直柔(なおなり)のように。
混乱は今だけではない。
そもそも渡川とは道の線上に川があり、それを渡って渡川の川名となる。と1589年の長宗我部地検帳に書いてある。 だが、「古今和歌集」の中に「泣く涙雨と降りなん渡川水まさりなば帰りくるがに」小野篁(たかむら)が私の涙で渡川(三途の川)を増水させて亡き妹がそのために帰ってくるかもしれないと詠じたものである。  渡川=あの世をまずみる。さらに渡川は奈落(地獄の底)に落ちる。

この頃から渡川近辺は流罪の地となる。 1722年頃から地域民は四万十川を要望し公は渡川を押すようになったようである。
四万十川の名前の由来は中流部に「四万川」という川がある この川は4万集まる川と言う意味である。このような川が沢山集まり四万十川になったのです。
四万十川の十は倍、集まるの意味です。

今では四万十川と言えば「清流」の代名詞ですよね。もしかして「字(あざな)」?



鮎の四万十川って?

上で書いたように四万十川の由来には上流の四万川、沢山集まり四万十川になった由来ともう一つアイヌ語の「シ、マムタ」=大変美しい川の由来があるがこの関連は謎ですね。
四万十川には五つの漁協がある。 家地川堰堤上流の四万十川上流淡水漁協。 堰堤より下流は東部漁協、西部漁協、中央漁協、下流漁協。此に津野山の協力金。 

それでは四万十川の鮎の今昔。 河口から100km弱には十和村がある。この近辺には30cm、300g以上の鮎が昔は沢山居たのだが何故今は居なくなったのかというとダムが出来たからと言う他ならない。 この鮎は「ツノコロ鮎」と言ってかつての吉野川の鮎を彷彿させる鮎が居ました。どういった鮎かというと頭のすぐ後ろから筋肉が盛り上がった鮎ですね。 この「ツノコロ鮎」というのは津野山鮎のことで檮原川や北川川の上流まで遡上して激流にもまれた鮎です。その昔は本流の松葉川などよりも数多くの鮎が大正から檮原川に遡上したようですね。 現在は津賀ダムで全く遡上できなくなりました。

今現在の四万十川の9寸鮎は殆どが本流だけ。多少の鮎は家地川堰堤を下った松葉川の鮎。この鮎の体型はスマートで丸い鮎。味の方は高水温の影響であまり美味しくない。津野山鮎は水温が低いが成長は早く多少違う鮎にも思えます。
ところでこの鮎たちの特徴は渇水の時期鮎は酸素不足で流され生き残った鮎たちも体力の回復が出来ないまま終盤を迎えます。うるめ鮎と言われるようなかわいそうな鮎たちです。しかし津野山鮎がいた頃はこの鮎たちが次の世代に子孫を残しました。 


時間が出来ましたらもっと詳しく釣り人から見た四万十川を紹介しますね。(そのほかの四万十川)